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おやじぎゃぐ講座(上級編)

 2回に渡ってお届けしてまいりました、おやじぎゃぐ講座もいよいよ上級編。
 この章では、おやじぎゃぐの良さをご紹介し、おやじぎゃぐらーとしての最後の心がまえをお話していくことにします。

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おやじぎゃぐは自信から

 ・・・おやじぎゃぐが、それこそ湧き水のようにでてくる人をどう思いますか。
ヒマな人? 馬鹿な人? あきれちゃう人?

 いいえ、おやじぎゃぐが湧き出る人は「頭の回転が速い」人なのです。

 馬鹿な事を考えて・・・と思われることも、できない人にしてみれば「したくてもできない」ことなのです。ですから、おやじぎゃぐを発することに躊躇する必要は全くありません。
 
 おやじぎゃぐが口をついて出てくるのなら、それは賢さのあらわれなのです。



 おやじぎゃぐらーは人生の成功者

 おやじぎゃぐを使おうと決意した人は、その時点で成功者へのきっぷを手にしています。

 お手元に、雑誌やテレビがあれば、そこにある広告を良く見てみてください。
 友人同士の会話であれば、寒いぞぉと思えてしまうような内容のおやじぎゃぐが、立派に、それも「一流」と呼ばれるような企業の広告で使われてはいませんか。
 
 友人との会話で、それつまらな~いと言われてるくらいのものでも、フリーのコピーライターにでもなって、出るとこ出れば、一攫千金も夢ではないのです。この不況の時期に、問われるのは資格と才能です。そのうちの1 つの才能をもうあなたは手にしているのです。

 「消臭力」の程度でいいのです。よくよく考えてみると訳のわからないネーミングですが、少なくともエステー株式会社の役員会議は通ったようですからね。

 日本人なら10人中9人が敬遠するようなぎゃぐも、広告セールスの場ともなれば、福沢諭吉さんの束へと変貌するのです。
 その余りある天性によって、大事な商談の場でおやじぎゃぐを発したがばっかりに、リストラの危機に瀕したあなたも、一躍大ヒットCMのプロデューサーへとなれるのです。

 CMプランナーになることが「成功者」かどうかはわかりません。しかし、自分の持ち前を活かして大躍進したあなたは成功者といえるのではないでしょうか。
 さあ、おやじぎゃぐで大富豪になりませんか!!



 
おやじぎゃぐらーで人間国宝に

  おやじぎゃぐなんてつまらないし、古いじゃん。そう思ってませんか。
 一時廃れた炭火が、一躍もてはやされているように、古いからいいってことも、この世にはあります。
 ここから先はないしょのお話です。

 実は、私には野望があります。それは・・・。

 「おやじぎゃぐを受け継ぐ日本最古の人となり、人間国宝となって、亡くなった時NHKニュースで読まれること!!」

 そのためには、おやじぎゃぐが廃れなければいけません(笑)。
 矛盾するようですが、そういった意味ではできることなら誰も使わなくなってくれればいいのにと思っていたりもします。
 
 誰もが使う言葉も大切です。しかし、使わない、あるいは敬遠される言葉が、社会的に認められるものなら、あえてそれを使うことも大切です。陶器や伝統工芸という分野において、人間国宝になろうとしている人はそれこそ星の数ほどいます。しかし、おやじぎゃぐで人間国宝を目指す人は、片手の指が埋まるだけの人がいるかいないかなのではないでしょうか。
 大富豪になっただけでも充分なあなたなのに、さらに人間国宝のお誘いも来てしまうのです。
 侮ってはいけないおやじぎゃぐなのです。



 おやじぎゃぐらーは未来への使者に

 それでも、納得できないあなたに最後のメッセージです。
 いつからおやじぎゃぐは生まれたのでしょうか。それを知るためには、日本人の起源まで歴史をさかのぼっていかなくてはなりません。

 今、日本で使われている、いわゆる「日本語」は、先祖が使ってきた数多くの言葉のなかから、あらゆる理由によって生き残ってきた厳選された言語です。
 今から30年近く前、「ナウい」「ヤング」といった流行語が現われては、あっという間に消えてしまいました。 令和の今となっては、使う人は化石同然の扱いを受けてしまうどころか、下手をすると「それ、どういう意味?」なんていう人が現われてもおかしくない時代になりつつあります。なぜ消えたのか?それは、使っていくうちにより良い言葉へと変わっていったからです。ですから、「ナウ」で言えば、「トレンド」などの言葉に取って代わられたといえます。

 これをもっと大きな目で見れば、高校生の時活用をさんざん覚えさせられたあの古語が、現代でも言葉としてなんとなく意味が通じるのもこの流れを汲んでいるからといえるでしょう。

 もちろん、おやじぎゃぐも例外ではありません。
 古文に「掛詞」という表現技巧があるのをご存知でしょうか。
 下の歌は百人一首のなかの1首で、皇嘉門院別当(こうかもんいんべっとう)という人が詠んだものです。

  
難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき

 この人が何者かは関係ありません。私も知りません。
 しいて言えば、現世まで残っていることからして、それなりに偉かったのでしょう。

 わかりやすいように、ひらがなにしてみます。

  なにはえの あしのかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや こひわたるべき

この歌は「難波江の芦の刈り根の一節のように、旅での仮寝の一夜のちぎりゆえに命をかけて、生涯恋し続けていくことであろうか」という意味です。自前の訳なんで、怪しいかもしれませんが・・・。

 ここでのポイントは1点。歌の中の「刈り根の一節(よ)」を、「仮寝の一夜」と掛けているところです。この2つの言葉はひらがなにしたときの発音が同じという点以外では、お互いの語自体に関連性がありません。

 それでは、現代に戻って、下をごらんください。
 
 
このステッカー、海にでも捨てっかあ

 ちょっと北極が南に下りたのではないかと思いたくなるくらい、寒いベタなぎゃぐです。
 が、しかし、冷静に分析してみると恐ろしい事実が判明します。
 ここでは「ステッカー」と「捨てっかあ」という言葉が、「発音は同じで意味が違う」という、掛詞の理念が見事に継承されたものになっているのです。

 ここでもう一度、さっきの掛詞の例文と見比べてみてください。意味が素直にとれるという意味では、おやじぎゃぐの方がわかりやすいですよね。すなわち、言語発展の段階でわかりくくなった掛詞の技法が、令和の現代に「おやじぎゃぐ」と形を変えて、生き長らえているのです。

 後述する応用篇でも、わびさびの精神と照らし合わせてお話していますが、おやじぎゃぐとは永遠の産物、日本人が長きに渡って育んできた言葉の集大成なのです。

 このことから、おやじぎゃぐらーは言葉を未来へと伝える重要な位置付けにあるのだということが、おわかりになったのではないでしょうか。歴史の教科書を読みながら、どうせ自分とは関係ないしぃ~と思っていた、あなた。実は縄文土器から、聖徳太子から、はたまた井伊直弼から、あなたはつながっているのです!!

さあ、ここまででわかりましたね。
 おやじぎゃぐを使う人は、
 「人生の成功者のきっぷを手にし、かつ日本人として正しい日本語を継承する責任を担った歴史的な人物」だということに。

 オフィスの後輩に馬鹿にされたっていいじゃないですか。
 所詮、現代だけのつながりです。
 奥さんに愛想つかされてもいいじゃないですか。
 あなたには、古代からの言葉を継承するという、重大な任務を遂行しているのですから。

 かのM.プリオールはこう言っています。
「幸福になりたいと考えるのなら、人を喜ばすことを勉強しなさい」と。
この人が何者かって? 私も知りません。
しいて言えば、現世まで残っていることからして、それなりに偉かったのでしょう。

 あなたの人生に幸あれ。
 今回はここまで。おあとがおさむいようで。